国公立・私立大学受験、医学部・歯学部・薬学部受験から中学校・高校受験まで、マンツーマンの個人教授で代表 稲垣昇が責任を持って指導します。

プロフィール

ジーニアス代表 稲垣 昇(いながき のぼる)1950年 大阪市生まれ 大阪大学大学院(専攻 言語学)修了

history/today

幼少年時代

稲垣昇/幼少年時代

家族は、大人4人子ども3人の合計7人。6帖一間のアパートで極貧生活。
幼稚園の頃に役所の人がやってきて、あまりにも可哀そうだといって、府営住宅を補欠で入れてくれたのでそのアパートを出ることができました。しかし、貧乏生活は相変わらずで、家計を助けるために、朝刊夕刊を6年間、1日も休まず配る。当時は日曜も夕刊があり休刊日は年2回しかなくて大変でした。そのことが大学院時代、大学の都合で正月が使えなかった以外、毎日、朝9時から晩の9時まで大学の研究室に通えることにつながったと思います。
そろばんを3年間習いました。たまたま向いていて、特に暗算が得意で、珠算大会で何度も優勝したりしました。今も、数字に強いのは、母親がそろばん教室に通わせてくれたお蔭だと感謝しています。

学生時代

稲垣昇/学生時代

中学の頃は、いい思い出はなく、夏、プールに入るのが、特にイヤでした。小柄でガリガリに痩せていましたからプールの水はこたえました。当時は、『縁側日なたぼっこ派』でしたから運動はしないし、家で、宿題をしたり勉強をしたりということもなかったです。
高校で、英語のクラブに入り、英語が好きになり高1が終わるころには英字新聞もスラスラ読めていました。発音も、顔がなければアメリカ人と間違えられるところまでうまくできました。この頃に『勉強は楽しく!』という考えが生まれたと思います。部室が階段教室で、教師が教壇に立つように、クラブの部長をしていた関係でボクもそこにたち後輩の指導をしたりしました。その延長上に今の受験指導の生活があるような気がします。

高校卒業後

稲垣昇/高校卒業後

貧乏なので、大学進学をあきらめ、国家公務員になる。高卒での公務員生活を続けるのは無理があると感じ、尿管結石の手術が終わったこともあり、3年間で退職。
大学進学 共通一次実施の前年に受け合格。受験制度が大きく変わる前年なので難易度が高いだけでなく、競争倍率も10倍以上あり、受験経験のないボクにはプレッシャーでした。困った時にアイデアは生まれるといいます。受験方法をあみだしました。4月1日から約1年間、毎日2時間、受験勉強しました。全く無駄のない方法です。その方法を現在の受験指導に使っています。その結果、 1968年の開講以来、うちの生徒も全員合格しているのです。

フィットネス約40年

今の帝国ホテル大阪で12か所目です。一番最初に始めた頃は、フィットネスという言葉はありませんでした。小学校から高校まで、運動とは全く無縁でしたが、いつもバランスが大事だとは考えていました。勉強したらバランスを取るために、体を動かすことが必要だと考えていたのです。
今でこそ誰でもフィットネスに通っていますが、当時は施設も少なく、やる人は、ほとんどいませんでした。体重は50キロもなく、本当に痩せていました。毎日一人で頑張りました。たとえば、筋トレを毎日することによって、体重の2倍以上の、100キロを超えるバーベルをベンチプレスで平気であげるようになっていました。その時に色々本を読んで研究したやり方を、自分の大学受験に応用したのです。勉強と運動はやり方が似ていると考えています。

趣味 映画、食べ歩き

若いころは、週3回映画を見に行きました。それが、何十年も続きました。それぐらい映画が好きです。
今は回数は減りましたが今でも好きです。映画は一つの旅だし、背景が過去であれ、未来であれ、内容は、どれも近い未来を描いていて、これからの世の中がどうなっていくか予想できるところが面白いと思います。才能あふれる映画監督に、思わず感心してしまいます。

食べ歩きも若いころからの趣味で今も色々な所へ食べ歩いています。超高級な店からすごく安い店までジャンルを問わずおいしければどこへでも行きます。最近はパソコンを使って探して行くことが多いです。徹底的に調べます。若いころは、昼食を3か所ぐらい行って、それぞれ、どんな店なのか印象などメモを取って帰るほど熱心でした。

ギネスもの

稲垣昇

1968年の開講以来、授業は、全く休んでいない。
停電の時がありました。姉が、当時の教室の隣に住んでいました。皿と大きなろうそくを一人一人に用意してくれて、その灯りで授業をしました。台風の時が何度かありました。その時も休みませんでした。休まないことは、日ごろから生徒に言ってあったので全員は来ませんでしたが、授業は成立しました。40度の高熱を出したこともありましたが、授業は元気にやりました。終わった後、急にしんどくなり、その場から動くことができなかったことを覚えています。

幼稚園から高校3年まで、13年間教えた生徒がいる。その生徒は現在、高校の教師をしている。
彼女は幼稚園の頃は、ボクの手のひらに入るような小さな靴を履いていましたが、高3の頃には、身長も170センチ以上あり、27.5センチもある大きなスニーカーを履いていました。13年というのは、本当に長い期間だなあとつくづく感じてしまいます。継続によって得られたその経験は、彼女の今の教師としての生活に良い影響を与えているに違いありません。

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